新年に思うこと

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

昨年の秋くらいであったか、Xでとあるアカウントが表示され、村上春樹さんが書いたという文章が紹介されていた。それは「人生はただの容れ物、空っぽのかばんのようなもの、容れ物とは何かを考えこむより、そこに何を入れるかを考えた方がいい」という文章でした(※その投稿では、文章の出自を明らかにしていませんでしたが、私としてはこのような内容を村上さんが言うことについて違和感はありません)。ちょうど私は、その少し前から、自分の鞄の中身に関する夢を繰り返し見ていたのですが、そこへきて、SNSで流れてきた、この文章。何やら共時性(同時に起こって深い意味を持つ)を感じた。

加えてその頃に見た別の夢からも啓示をうけ、考えた結局自分が何者かというのは、私にとってはそれほど重要ではなかったのだと思い至った。私が自分について、何者なのかと本格的に悩みだしたのは、24歳の頃のことだったと記憶していますが(その萌芽は16歳からありましたが)、そこからずっと、自分は何者かにならないと・・、そればかり考えて生きてきたように感じる。どうしてそのように考える性なのかと言ったら、ひとつには、私にとって幼少期から、個人差というのが、世の中に生じる不穏の原因のように感じるようなところがあり、強い何者かになれば安心できると思っていたからです。しかし、そんなことはなかった。逆だった。今は個人差こそが、その落差から生まれる何かしらこそが、人間が人間たる所以だと感じている。

なので、意味とは、その人がどのような人間なのか、そこに生じるものではなく、その周辺に、すなわち、他者との関わりの中に、生じるものだと考えるようになった。だったら、自分なぞ、空っぽでも、どこの馬の骨でも、よいではないか、と。

やれやれ・・これでちょっと安心できますわ、と思っていたら、案の定。夢のほうがまた、新たな問題提起をちゃんとしてきました。確かにそのとおり、それについては考えて無かったよね、とこちらに考えさせるような体でもって・・。

これからが大変そうです。

このようですが、皆様本年もどうぞよろしくお願いいたします。

この記事を書いた人

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加藤 理恵

臨床心理士・公認心理師
カウンセリングルーム はるき カウンセラー 

(株)デンソーを退職後 心理系の大学院を修了し、39歳で心理カウンセラー
42歳でカウンセリングルーム はるき 開室。
ユング心理学を背景に持つ、夢分析 箱庭療法を得意とし、主にうつ、不安、対人関係に関する悩みの相談にあたっている。

過去に、精神科クリニック 産業領域(トヨタ車体(株)) 愛知県教育委員会スクールカウンセラー(中学校) 等でのカウンセラーの経験がある。