リアリティについて

5年前に亡くなった臨床の師匠は、「臨床を実践する上でこれが正常・・という状態は知っていないといけない」と言った。発達のことでいえば、この年齢ではこれくらいの発達・・ということは、抑えておかないといけないということだ。例えば、52歳の女性が、物事を親のせいにして、自分で責任を負うことをしない、これは異常だ、みたいな。

しかし、私も含めて、世に生きる人で、全てにおいて正常・・という状態の人など、1人もいないだろう。いるとしたら、神ということになると思われる。そして、ある人の中に含まれる異常性こそが、そこから展開される物語こそが、その人の個性として色濃くその人を世に際立たせるものである場合も少なくない。よくもわるくも。

なので、臨床を行う上で、もちろん「これが正常だ」という状態は押さえておかないといけないことは、前提としてあるのですが、それに基づいて話をしていても、説得力がないことに最近気が付いた。何故ならば、リアリティがない。

だから、これから私は、リアリティで話をすることにしようと思った。

ではリアリティとは何だろうかという話になります。

村上春樹は、1Q84の冒頭、物語に入る前に、「ここは見世物の世界 何から何までつくりもの でも私を信じてくれたら すべてが本物になる」、という文章を記した。アメリカの歌の歌詞らしいです。

1Q84がどういう物語かと言ったら、現在の私にとっては、孤独と愛の物語だと感じる。切断と責任の物語だと感じる、そして・・・・・。充足とリアリティの物語だと感じる。

人が空虚さに蝕まれ、ゾンビ化して、何かしらを求めるために外へ外へ・・そのようなあり方は、「間違っている」と、これまでの私だったらここに書いていたかもしれない。自らがそのようなありようを、自分の中に一部含んでいるのにも関わらず・・です。しかし、今となっては、正誤の判断は意味がないと感じる。「これがあるべき姿なんですっ」などと1人称で主張できるのは、神だけなのかと思う。私が言えることではない。

ひとつ確かなのは、上記のようなありようは、私にとってはリアリティがない。私はリアルな世界に生きたいし、これからも、リアルな世界に生きていきたい。

さて、あなたにとってリアリティとは、なにですか。

この記事を書いた人

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加藤 理恵

臨床心理士・公認心理師
カウンセリングルーム はるき カウンセラー 

(株)デンソーを退職後 心理系の大学院を修了し、39歳で心理カウンセラー
42歳でカウンセリングルーム はるき 開室。
ユング心理学を背景に持つ、夢分析 箱庭療法を得意とし、主にうつ、不安、対人関係に関する悩みの相談にあたっている。

過去に、精神科クリニック 産業領域(トヨタ車体(株)) 愛知県教育委員会スクールカウンセラー(中学校) 等でのカウンセラーの経験がある。