今日は名古屋市の檀渓心理相談室にて開催されたセミナーに参加してきた。
一年に一回東京から精神科医の小倉清先生をお招きし臨床心理士や医師向けに開催されるセミナーです。
事例が2つ報告された。
母子関係に問題のある事例が2つだった。
とても勉強になる事例だった。
内容は別として、こころに残ったことがある。
小倉先生の思いだ。
精神科医として僕は何としても、患者さんの命を救うのだ。というその姿勢。
母親の精神面での問題を引き受けてしまった子どもの命を。
そして母親もまたその母親の問題を引き受けているのだけど。
僕はなんとしも、その命を救うのだと。生かすのだと。
肉体面での生きる、精神面での生きるが錯綜した事例。病理が重いということはそういうことなのかもしれません。ケアされるべきは身体が先か精神が先か。
はたして皆さんは生きるとはなんだと思いますか。
私には、何があるのだろう?
前の病院を「患者さんのこころに寄り添えないから」と退職した。
それで、私は何がしたいのか。
何に怒っているのか。
その怒りを世の中に受け入れられる形で表現することがそのまま私の臨床になるとしたら、
自分の怒りについてもっと考えないといけない。
人間のこころを量的に測ろうとする世の中を。
効率とか利益とかそれが優先されてしまう世の中を。
人間をモノのように扱う世の中を?
小倉先生にも怒りはある。あるいはあった。事例の発表者の中にもあった。それは確かだ。明確に伝わってくる。
私の怒りは何だ?もっと私の怒りに直面しなければ。
怒るべき対象は世の中にあるのではない。
自分の中にあるものだ。
そんなことを考えさせられた。今日の研修だった