一年ちょっと前に一週間休みをもらってひとりでバリ島に行ってきました。今回はその時のことを書こうと思います。
ウブドという街にずっと滞在し、ジャティルウィという世界遺産の棚田のある地域に行くのと、バリ島のダンスを見ることが目的でした。ジャティルウィへは車でないと行けないので、現地に行ってから街中のレンタカー会社で車と運転手を手配した。行先と日本人である旨を伝えると、「それでは日本語ができるスタッフを」と言ってくれた。ウブドからジャティルウィへは、まっすぐ行って車で1時間半くらいかかる。
ジャティルウィの棚田
ホテルに迎えに来た運転手はワイアンさんと言ったが、日本語はほとんどしゃべれなかった。英語も怪しく(私の英語も怪しく)、互いに半分は雰囲気でやりとりしていた。途中車道を人や犬やニワトリが横切って車を徐行させること数知れず、怪しげなコーヒー農園に連れて行かれたりして、ようやくたどり着いたジャティルウィの棚田はパノラマが素晴らしく、山を切り崩さずに棚田にした現地の人にシンパシーを感じた。
ジャティルウィから帰る道すがら、現地でタジャンと呼ばれる闘鶏会場の近くを通り過ぎ、そちらを見やるワイアンさんの目が鋭くキラリと光ったのが見えた。これは連れて行ってもらわねばと直観し、契約時間と料金を決めて翌日闘鶏に連れて行ってもらうことになった。
ところでウブドは毎晩、街中で5.6箇所ダンスが行われている。いろんな種類があって、滞在中毎日違うダンスを見に行った。
バリは西洋に占領された歴史がある国だ。占領した西洋の国の人がかつて、こうしてダンスを見ていたかもしれない。そういえば、ロレンツの「ソロモンの指輪」に闘魚の戦闘前のダンスがインドネシアのダンスに似ていると書いてあった。女性たちはダンスしながら目を左右に動かす。もてなしていますが、こころは見せませんよという意味にも感じられる。ダンスの会場に来る途中、ヒンドウー経の寺院のようなところで宗教音楽が鳴りだした。ガムランだ。ガムランの演奏は男性や子どもが20人くらい座って立木が茂った陰で見えないように演奏していたので、いろんな角度からのぞいても見えなかった。バリは観光で成り立っている島だが、本当に大切なものは見せまいとしているのかもしれない。ダンスを見ながらつれづれいろんな連想がよぎった。
バリダンスを踊る女性
私が宿泊したホテルはコマネカというホテルでウブドではいくつかこのグループのホテルがあって、街でもよく知られているホテルのようだった。ホテル間でサービスを共有して、例えばバリダンスをグループ内の他のホテルで開催して、お客はそれに参加したり、お茶を飲みに訪ねて行ったりできたようだ。スタッフも「あそこのホテルは景色もいいしお茶してきたら」としきりに勧めてくる。
街中のチケット売り(ウブドではダンスのある日は町中にチケット売りが出没する)のお兄さんが「ああ、コマネカに泊まっているなら今日あのホテルに行ったらこのダンスが見れるよ」と教えてくれたりする。街の方々もコマネカのシステムを知っている。
ウブド街中
郷に入れば郷に従えかもしれないが、はじめのうち私は全くこのコマネカのシステムに添っていなかった。ホテルのスタッフの勧めで同グループの他のホテルを訪ねていったこともなければ、ホテルスタッフにガイドを頼まない。ホテル中庭にレストランの席があり、滞在中私は41歳の誕生日を迎え、その日はそこに日本風の提灯が灯されていたが、私はダンス見物の帰りに街のレストランで夕食を済ませてしまった。ホテルで日本人客は私ひとりだったので、おそらく私をもてなすつもりでセッティングしてくれたのだろう。スタッフに飛びつかれていたかもしれない。滞在初日にウブド街中のモンキーフォレストという場所にに行った。寺院の周囲が公園になっていてサルがたくさん棲んでいる。私はそこのボスザルに飛びつかれた。
モンキーフォレストのサル
モンキーフォレストにはサル用のバナナが売っていて、奈良公園の鹿せんべいのようなものだが、私もサルと交流するためにバナナを買った。あるエリアでボスザルにバナナをあげ、次は道端にいたあまり毛並みのよくないサルにも一本・・とバナナを渡そうとすると、先のボスザルが私の手からそのバナナを取ろうとした。それに人間の意地で抵抗したためボスザルに飛びつかれたのだった。
人間でも動物でもある程度システムのあるところでは、自分がその中でどうふるまっているのか知っておいたほうがいい。しかし結局、私はこうするしかなかったのだと思う。